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ホンダ RS125R
トニ・エリアス 2001
TELEFONICA MOVISTAR JNR TEAMから2001年の世界GP125ccクラスに参戦した、トニ・エリアス選手のRS125Rです。ランキングは3位だった。
この模型はチャンピオンバイクコレクションのNO.42です。
テレフォニカ・モビスター・ジュニアチームはスペイン人の元GPライダー、アルベルト・プーチによって設立されたチーム。若手ライダーの育成に主眼を置き、スペイン国内の125ccクラスで活動を展開。
2001年からホンダRS125Rで、ライダーにエリアス、ダニエル・ペドロサ、ホアン・オリベを起用して世界GPに参戦。そして3年目となる2003年、ペドロサが世界チャンピオンになった。
この時期、ホンダの125ccマシンはワークス仕様というのは無く、RS125Rは市販レーシングマシン。1987年から登場したRS125は、ロリス・カピロッシのライディングで1990年、1991年と連続して世界タイトルを獲得。その後はライバル、アプリリアの登場で苦戦する。
1995年、ホンダは大幅に改良したRS125Rを登場させた。この2001年モデルの水冷2ストローク単気筒エンジンは、最高出力45馬力以上だったとされている。
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スペイン出身のトニ・エリアスは2000年、世界GP125ccクラスにホンダのマシンでフル参戦開始。その年のランキングは20位。
2001年、世界GPに挑戦を開始するテレフォニカ・モビスター・ジュニアチームに移籍。第4戦フランスGPで初の表彰台に立ち、ウエットコンディションとなった第7戦オランダGPで初優勝。
第10戦チェコGPはポールポジションからスタート。エリアスは宇井陽一らとトップ争いを展開し、最終ラップで3台を抜き、シーズン2勝目。これでランキングトップに立った。
その後、なんとかランキングトップを維持したが、第13戦パシフィックGPでトップ争いを展開中の5周目に転倒リタイヤ。これで首位をあけわたし2位に後退した。第15戦マレーシアGPで6位となった事で、シーズン後半猛烈に追い上げてきた宇井に抜かれ、チャンピオン争いからも脱落した。
結果、エリアスはシーズン2勝で、ランキングは3位に終わった。この年の125ccチャンピオンはマヌエル・ポジアーリで、2位は宇井だった。
2001年に一気に頭角をあらわしたエリアスは2002年、早くも250ccクラスにステップアップした。
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Round | 順位 | |
---|---|---|
1 | 日本GP | 16位 |
2 | 南アフリカGP | 18位 |
3 | スペインGP | 13位 |
4 | フランスGP | 3位 |
5 | イタリアGP | 4位 |
6 | カタルニアGP | 2位 |
7 | オランダGP | 優勝 |
8 | イギリスGP | 2位 |
9 | ドイツGP | 2位 |
10 | チェコGP | 優勝 |
11 | ポルトガルGP | 3位 |
12 | バレンシアGP | 2位 |
13 | パシフィックGP | リタイア |
14 | オーストラリアGP | 3位 |
15 | マレーシアGP | 6位 |
16 | ブラジルGP | 4位 |
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