>> チャンピオンバイク
ホンダ NS500
フレディ・スペンサー 1983
1983年、ヤマハのケニー・ロバーツとの激戦を制し、ホンダ初となる500ccクラスチャンピオンを獲得した、フレディ・スペンサー選手のNS500です。チャンピオンバイクコレクションのNO.7です。
1982年、結果の出ない4ストロークNR500に替わって登場した、2ストロークマシンNS500。他のメーカーが4気筒エンジンを採用するなか、ホンダはV型3気筒エンジン採用。ハイパワーを追求するかわりに、超軽量でコンパクトなマシンを開発した。
1982年の第7戦ベルギーGPでスペンサ-が駆り初優勝。これがホンダにとって、2ストローク初優勝。その年、スペンサ-と片山敬済により、NS500はシーズン3勝をマークした。1983年、スペンサ-は6勝をマークし、NS500は参戦2年目にしてタイトル獲得。ホンダにとっては1967年以来、16年ぶりとなるタイトル獲得に成功した。
しかし、NS500がワークスマシンとして活躍したのはわずか2年。翌1984年からは、V型4気筒NSR500へと移行して行った。
スポンサーリンク
NS500 主要スペック
- エンジン:水冷2ストロークV型3気筒/1軸クランク、バンク角112度
- 排気量:497cc
- 最高出力:120馬力
- 最低車両重量:120Kg
ファスト・フレディと異名をもつフレディ・スペンサーは、17歳でプロに転向しアメリカのAMAスーパーバイクで活躍。1982年からNS500で世界GPにフル参戦し、第7戦ベルギーGPで20歳で最年少の優勝。その年はランキング3位。
1983年、シーズン全12戦をヤマハのケニー・ロバーツと6勝づつを分け合うという世界GP史上に残る激闘の末、僅か2ポイント差でスペンサーが制し、最年少チャンピオンとなった。
1984年、ホンダが新たに投入したNSR500が不調で4位に終わった。1985年、500ccと250ccにエントリーし、不可能といわれた二冠を獲得した。しかしこの後全く勝てなくなった。酷使した右手首の腱鞘炎が原因と言われている。
1987年シーズン終了後いったん引退。1989年と1993年、ヤマハのマシンで復帰したが結果を残せず、32歳で完全に引退した。
また、フレディ・スペンサーは鈴鹿8時間耐久レースに1980年と1992年に出場している。
Round | 順位 | |
---|---|---|
1 | 南アフリカGP | 優勝 |
2 | フランスGP | 優勝 |
3 | ナシオンGP | 優勝 |
4 | 西ドイツGP | 4位 |
5 | スペインGP | 優勝 |
6 | オーストリアGP | リタイア |
7 | ユーゴスラビアGP | 優勝 |
8 | オランダGP | 3位 |
9 | ベルギーGP | 2位 |
10 | イギリスGP | 2位 |
11 | スウェーデンGP | 優勝 |
12 | サンマリノGP | 2位 |
1位 | フレディ・スペンサー | ホンダ | 優勝6回 | 144ポイント |
2位 | ケニー・ロバーツ | ヤマハ | 優勝6回 | 142ポイント |
3位 | ランディ・マモラ | スズキ | 優勝0回 | 89ポイント |
サイト内関連ページ