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ホンダ NSR500
マイケル・ドゥーハン 1998
1998年のWGP500ccクラスで、マイケル・ドゥーハン選手のライディングでチャンピオンに輝いた、REPSOL HONDA TEAMのNSR500です。このチームは、スペインの石油会社レプソルをメインスポンサーとしたホンダワークスチームでした。
この模型はチャンピオンバイクコレクションのNO.6です。
このNSR500に搭載されている最高出力180馬力以上とされる水冷2ストロークV4エンジンは、ワイン・ガードナー1987と比べて、下バンクの排気管が右側面に配置され、この排気管の経路を確保するためスイングアームはバナナ型で左右非対称となっている。
1992年、ビッグバン・エンジンと呼ばれる同爆型のエンジンが投入された。しかし1997年に、等爆型エンジンに戻された。
1984年に投入されて以来、より速く走るために毎年改良が加えられたNSR500は、1997年は全15戦のレースを完全制覇し、その内表彰台独占が9回。
翌1998年も全14戦中13勝、表彰台独占が8回。ドゥーハンの世界GP5連覇とともに、他のメーカーを寄せ付けない圧倒的強さを誇った。
マイケル・ドゥーハンは、1989年からホンダのワークスライダーとしてNSR500を駆り、世界GP500ccクラスに参戦を開始した。参戦初年こそランキング9位に終ったが、翌1990年3位、1991年2位と着実に実力をあげていった。
しかし1992年、シーズン開幕から7戦中5勝を挙げ、初タイトルかと思われたが、第8戦のオランダGPで転倒し、大怪我を負う。シーズン終盤に復帰したが、体調不十分のため、惜しくもランキング2位に終った。1993年も負傷が完治せずランキング4位となった。
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1994年、強さを取り戻し、優勝9回で初タイトル獲得。1995、1996、1997年と連覇。1997年は全15戦中12勝している。
1998年は、開幕戦の日本GPでエンジントラブルでリタイヤするなど、計3戦リタイヤと厳しい年となったが、完走したレースは全て表彰台、優勝8回とチャンピオンにふさわしい成績で5連覇を成し遂げた。
また、チャンピオンは第13戦母国オーストラリアGPでの勝利で決めた。
しかし6連覇をめざした1999年、第3戦スペインGPの予選で転倒し負傷のため、残りのレースを欠場。その後引退を発表した。世界GP通算優勝回数は54勝。
また、ドゥーハンは鈴鹿8耐にも何度か出場し、1991年にはガードナーと組んで優勝している。
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Round | 順位 | |
---|---|---|
1 | 日本GP | リタイア |
2 | マレーシアGP | 優勝 |
3 | スペインGP | 2位 |
4 | イタリアGP | 優勝 |
5 | フランスGP | 2位 |
6 | マドリードGP | リタイア |
7 | オランダGP | 優勝 |
8 | イギリスGP | 2位 |
9 | ドイツGP | 優勝 |
10 | チェコスGP | リタイア |
11 | イモラGP | 優勝 |
12 | カタルニアGP | 優勝 |
13 | オーストラリアGP | 優勝 |
14 | アルゼンチンGP | 優勝 |
1位 | マイケル・ドゥーハン | Repsol Honda | ホンダ | 優勝8回 |
2位 | マックス・ビアッジ | Marlboro Team Kanemoto | ホンダ | 優勝2回 |
3位 | アレックス・クリビーレ | Repsol Honda | ホンダ | 優勝2回 |
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