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ホンダ NSR250
ルカ・カダローラ 1991
Rothmans KANEMOTO HONDAチームの、1991年型NSR250の模型です。ルカ・カダローラ選手のライディングで、世界GP250ccクラスの頂点に輝きました。
チャンピオンバイクコレクションのNO.51です。
KANEMOTO HONDAチームは、フレディ・スペンサーをチャンピオンに導いた名チューナー・アーブ金本が1989年に設立。その年、ヤマハから移籍してきたエディー・ローソンが、NSR500でチャンピオンに輝いた。1991年はカダローラを迎えて250ccクラスに挑戦。
1991年はスズキがRGV-Γ250をGPデビューさせたが、まだ開発要素が多かった。また、NSR250と毎年タイトルを争ってきたヤマハYZR250が、参戦をストップした。
この年、カダローラのライバルとなったのは、ヘルムート・ブラドルらの同じホンダ勢。そして台頭してきたアプリリア勢だった。
RS250RWから変わって1986年に登場したNSR250は、2002年まで世界GPの舞台で活躍する。その間、1987年にアントン・マングのライディングで初タイトル獲得してから、2001年に加藤大治郎がチャンピオンとなるまで、NSR250は約17年間で7回チャンピオンマシンに輝いた。
NSR250 主要スペック
- エンジン:水冷2ストロークV型2気筒
- 排気量:249cc
- 最高出力:80馬力以上
- 最低車両重量:-Kg以上
1位 | ルカ・カダローラ(Luca Cadalora) | ホンダ | 237 |
2位 | ヘルムート・ブラドル(Helmut Bradl) | ホンダ | 220 |
3位 | カルロス・カルダス(Carlos Cardus) | ホンダ | 205 |
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イタリア出身のルカ・カダローラは、125ccと250ccの2クラスで世界王者に輝いている。1984年から世界GP125ccクラスに参戦し始め、ランキングは8位。1986年にはガレリのワークスライダーとなり、初タイトルを獲得。
1987年からマールボロヤマハアゴスチーニに移籍して、YZRで250ccクラスに挑戦。2位に3回入賞する活躍で、ランキング7位。1988年には西ドイツGPで250ccクラス初優勝、イギリスGPでも勝ち星を挙げたが、安定した成績を残せずランキングは6位。
1989、90年も一線級の速さで優勝はするもののノーポイントのレースも多く、ムラのある成績でランキング5位、3位に留まる。
1991年、YZRからNSRへ乗り換えた。開幕戦の日本GPで、カダローラはスタートで大きく出遅れたがハイペースでトップに追いつく。最終ラップの130Rでトップに立ちそのままゴール、NSR250での初戦で優勝。
開幕3連勝の好スタートを切ったが、中盤に調子を落とし、アプリリアのピエールフランチェスコ・キリやロリス・レジアーニに先行されるレースもあった。
タイトルを争っていたヘルムート・ブラドルが転倒した第12戦サンマリノGPで、カダローラは7勝目を挙げ、タイトル獲得に大きく前進。ブラドルが第13、14戦と連勝するが、カダローラは無理することなく3位でゴール。
その結果、最終戦を前にカダローラの250cc初タイトル獲得が決定した。最終戦でも優勝したカダローラは、シーズン8勝、全レースで2桁ポイントを獲得する安定感をみせた。
1992年もタイトルを獲得し250ccクラス2連覇。その後、500ccクラスにステップアップするが、500ccクラスのタイトルを獲得する事は出来なかった。
Round | 順位 | |
---|---|---|
1 | 日本GP | 優勝 |
2 | オーストラリアGP | 優勝 |
3 | アメリカGP | 優勝 |
4 | スペインGP | 2位 |
5 | イタリアGP | 優勝 |
6 | ドイツGP | 4位 |
7 | オーストリアGP | 5位 |
8 | ヨーロッパGP | 優勝 |
9 | オランダGP | 2位 |
10 | フランスGP | 5位 |
11 | イギリスGP | 優勝 |
12 | サンマリノGP | 優勝 |
13 | チェコGP | 3位 |
14 | ルマンGP | 3位 |
15 | マレーシアGP | 優勝 |