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ホンダ RC45
ジョン・コシンスキー 1997
1997年のスーパーバイク世界選手権(SBK)で、ジョン・コシンスキーのライディングでチャンピオンに輝いたCastrol HONDA TeamのRVF/RC45の模型です。チャンピオンバイクコレクションのNO.31です。
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RVF/RC45
RVF/RC45が登場したのは1994年。RC45はその年の鈴鹿8時間耐久レースではダグ・ポーレン/アーロン・スライトのライディングで優勝し、その後鈴鹿8耐で1999年まで計6年間で5勝をマークした。
SBKには1996年にデビュー。SBKの排気量は当時、4気筒は750ccまで、2気筒が1000ccまでとされており、1990年代は排気量で勝る2気筒マシンDUCATIが優位な時代。
そのような状況の中、1997年、コシンスキーはRC45で母国アメリカ大会で連勝する等、年間9勝をマーク。リタイヤが最終戦のレース2のわずか1回のみという安定したシーズンで、第11戦の日本大会で、初のチャンピオンを決定する圧倒的な強さを見せた。
1998年、コシンスキーは世界GPに戻った。RC45がSBKのチャンピオンマシンになったのはこの年だけで、2000年、ホンダが投入したV型2気筒のニューマシンVTR1000と交替した。
RC45 主要スペック
- エンジン:水冷4ストロークV型4気筒
- 排気量:749cc
- 最高出力:160馬力以上
- 最低車両重量:162Kg以上
1位 | ジョン・コシンスキー(John Kocinski) | ホンダ | 優勝9回 | 416ポイント |
2位 | カール・フォガティ(Carl Fogarty) | DUCATI | 優勝6回 | 358ポイント |
3位 | アーロン・スライト(Aaron Slight) | ホンダ | 優勝3回 | 343ポイント |
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世界GP参戦
1987年からAMA全米選手権250ccクラスで3連覇を達成したジョン・コシンスキーは1990年、TEAM MARLBORO YAMAHA ROBERTSからヤマハYZR250で世界GP250ccクラスに参戦。ホンダNSR250が優勢といわれる中、参戦1年目でチャンピオン獲得。
1991年から、ヤマハYZR500で500ccクラスに参戦。しかし、1993年、思い通りにいかないチームやマシンに不満を募らせ、シーズン中にヤマハを離れ、スズキ(250cc)、カジバとチームを渡り歩いた。
1994年、コシンスキーはカジバのエースライダーとしてCAGIVA 500で世界GP500ccクラスに参戦。日本製のバイクに比べ戦闘能力が劣るとされたカジバのバイクで開幕戦を優勝。その年のランキングも3位になり、翌年の活躍が期待された。
しかし、翌1995年、カジバが世界GPから撤退し、コシンスキーも世界GPから離れた。1996年、ドゥカティのバイクでSBKに初参戦、1997年、ホンダに移籍し、RC45でSBKのチャンピオンとなった。
1998年、ホンダNSR500で世界GPに復帰し、2年間戦ったがたが勝てなかった。その後ヤマハYZR-M1のテストライダーなどを勤め、2002年シーズン終了後に引退した。
Round | レース1順位 | レース2順位 | |
---|---|---|---|
1 | オーストラリア | 優勝 | 7位 |
2 | サンマリノ | 2位 | 優勝 |
3 | イギリス | 10位 | 5位 |
4 | ドイツ | 2位 | 14位 |
5 | イタリア | 優勝 | 2位 |
6 | アメリカ | 優勝 | 優勝 |
7 | ヨーロッパ | 3位 | 2位 |
8 | オーストリア | 5位 | 3位 |
9 | オランダ | 優勝 | 3位 |
10 | スペイン | 優勝 | 優勝 |
11 | 日本 | 8位 | 3位 |
12 | インドネシア | 優勝 | リタイヤ |