>> チャンピオンバイク
ホンダ NS500
ランディ・マモラ 1984
ホンダワークスチームから1984年の世界GP500ccクラスに参戦した、ランディ・マモラ選手のNS500です。チャンピオンバイクコレクションのNO.30。この模型の台座のネームプレートは「NSR」と誤記です。
NS500は、1982年に登場したホンダ初の2ストロークGPマシン。デビュー2年目となる1983年に、フレディ・スペンサーのライディングでチャンピオンマシンとなったが、1984年には早くもホンダ最速マシンの座をV型4気筒のNSR500に譲った。
その1984年、ホンダはスペンサーにはNSR500、片山敬済、レイモン・ロッシュ、ロン・ハスラムにはNS500を供給した。しかし、NSR500が不調で、スペンサーはNS500との併用となった。
NS500はスペンサーとマモラのライディングでシーズン4勝をマークし、世界GPの舞台で未だ十分に通用する戦闘能力があることを証明した。1985年以降は、プライベーターチームのマシンとして1988年頃まで活躍した。
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NS500 主要スペック
- エンジン:水冷2ストロークV型3気筒
- 排気量:499cc
- 最高出力:125馬力以上
- 最低車両重量:-Kg以上
優勝 | ポイント | |||
---|---|---|---|---|
1位 | エディー・ローソン(Eddie Lawson) | ヤマハ | 4回 | 142 |
2位 | ランディ・マモラ(Randy Mamola) | ホンダ | 3回 | 111 |
3位 | レイモン・ロッシュ(Raymond Roche) | ホンダ | 0回 | 99 |
スペンサーとケニー・ロバーツの激戦が展開された1983年、マモラはスズキのマシンでランキング3位に入った。1984年、スズキはワークス活動を休止。1戦、2戦と乗るマシンが無く欠場したマモラは、3戦目からNS500で参戦。
NSR500の不調や転倒による負傷の影響で安定した成績が挙げられなかったスペンサーに替わって、マモラがホンダ勢トップで、ヤマハのエディー・ローソンとランキングトップ争いを展開。スペンサーが欠場した第10戦イギリスGPでは初めてNSR500で出場し優勝した。
しかし、マモラにとって1、2戦欠場した事が大きく影響し、第11戦スウェーデンGPはマシントラブルでリタイアとなり、この時点でローソンのチャンピオンが決定した。
マモラは、「マモラ乗り」と呼ばれるコーナーで外足をステップから外して走行する独特の乗り方で人気を集めたライダー。世界GPの舞台ではヤマハ、スズキ、ホンダ、カジバと4メーカーを渡り歩き、500ccクラスランキング2位を4回記録したがチャンピオンには成れなかった。
Round | 順位 | |
---|---|---|
1 | 南アフリカGP | 欠場 |
2 | イタリアGP | 欠場 |
3 | スペインGP | 2位 |
4 | オーストリアGP | 3位 |
5 | 西ドイツGP | 3位 |
6 | フランスGP | 3位 |
7 | ユーゴスラビアGP | 2位 |
8 | オランダGP | 優勝 |
9 | ベルギーGP | 2位 |
10 | イギリスGP | 優勝 |
11 | スウェーデンGP | リタイア |
12 | サンマリノGP | 優勝 |