>> チャンピオンバイク
ホンダ RC162
マイク・ヘイルウッド 1961
1961年の世界GP250ccクラスでチャンピオンに輝いた、ホンダRC162の模型です。ライダーはマイク・ヘイルウッドでした。チャンピオンバイクコレクションのNO.34です。
1954年、本田宗一郎がマン島TTレース出場を宣言。マン島TTレースは当時、世界GPに組み込まれており、公道を利用した世界一過酷で危険なレースといわれていた。この宣言からホンダの世界GP挑戦が始まった。
1959年、250ccレーシングマシンRC160が登場。1960年、RC161で世界GP250ccクラスに初参戦。第1戦マン島TTでは4位。その年優勝する事はなく、2位が最高位。
1961年、開幕戦には間に合わなかった新型マシンRC162が、第2戦西ドイツGPに登場し、高橋国光のライディングで250ccクラス初優勝。第3戦フランスGPでは、1位から3位までホンダが独占。トム・フィリスが優勝、2位 ヘイルウッド、3位 高橋。
第4戦マン島TTでは、ヘイルウッドのライディングで悲願のマン島TT250ccクラス初優勝。その後のレースもホンダ勢の快進撃が続き、前年チャンピオンのMV Agustaを大きくリードして、ホンダが世界GP250ccクラス挑戦2年目でメーカータイトルを獲得。
RC162 主要スペック
- エンジン:空冷4ストローク並列4気筒
- 排気量:249cc
- 最高出力:40馬力以上
- 最低車両重量:126Kg以上
1位 | マイク・ヘイルウッド(Mike Hailwood) | ホンダ | 44ポイント |
2位 | トム・フィリス(Tom Phillis) | ホンダ | 38ポイント |
3位 | ジム・レッドマン(Jim Redman) | ホンダ | 36ポイント |
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イギリスの国内戦で活躍していたヘイルウッドは、1959年から世界GPにフル参戦。メーカーの支援はなく、プライベーターとして参戦。1961年シーズン途中からワークスマシンRC162が供給され、マン島TTでシーズン初優勝。シーズン4勝を挙げ、自身初のタイトルを獲得。1962年以降、MV Agustaのマシンで500ccクラス4連覇。
1966年、ホンダに移籍し、2ストロークマシンに対抗すべく6気筒エンジンとなった250ccマシンでタイトルを獲得。1967年、ヤマハ RD05に乗るフィル・リードと接戦を展開し連覇。この年のシーズンの終わりに、ホンダは急遽世界GPからの撤退を決定。
世界GP初参戦から10年足らずのうちに、世界的メーカーに躍進したホンダの撤退はレース界に衝撃を与えた。市販用バイクの開発に集中したいというのが撤退理由とされている。ホンダの撤退と同時にヘイルウッドも世界GPから引退した。
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Round | 順位 | |
---|---|---|
1 | スペインGP | 欠場 |
2 | 西ドイツGP | 8位 |
3 | フランスGP | 2位 |
4 | マン島TT | 優勝 |
5 | オランダGP | 優勝 |
6 | ベルギーGP | 3位 |
7 | 東ドイツGP | 優勝 |
8 | アルスターGP | 2位 |
9 | ナシオンズGP | 2位 |
10 | スウェーデンGP | 優勝 |
11 | アルゼンチンGP | 欠場 |
Round | 125cc | 250cc | 350cc | 500cc |
---|---|---|---|---|
1958年 | 4位 | 6位 | ||
1959年 | 3位 | 5位 | 13位 | |
1960年 | 10位 | 5位 | 6位 | |
1961年 | 6位 | 1位 | 2位 | |
1962年 | 5位 | 11位 | 3位 | 1位 |
1963年 | 8位 | 2位 | 1位 | |
1964年 | 20位 | 4位 | 1位 | |
1965年 | 10位 | 3位 | 1位 | |
1966年 | 15位 | 1位 | 1位 | 2位 |
1967年 | 1位 | 1位 | 2位 |
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