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ホンダ RVF750
ビエラ、マッティオリ、メルテンス組 1990
1990年FIM耐久カップのル・マン24時間で優勝したホンダワークス、ビエラ、マッティオリ、メルテンス組のRVF750の模型です。
第3戦のボルドール24時間ではロスマンズタバコがスポンサーとなり、ロスマンズカラーのRVF750でした。チャンピオンバイクコレクションのNO.55です。
1985年にホンダワークスのTT-F1マシンRVF750が登場する。TT-F1は市販車をベースとするバイクで争われるレースで、RVF750はTT-F1世界選手権や日本国内の選手権で活躍する。1986年、リアに片持ち式のスイングアームが採用された。
その後、1988年から始まる、TT-F1より改造範囲が狭いスーパーバイク世界選手権(SBK)を狙ってニューモデルのRVF750が登場。そのホモロゲーションマシンとして、1000台限定のVFR750R/RC30が1987年に販売された。
1988年、RC30はフレッド・マーケルのライディングでSBKの初代チャンピオンに輝き、翌1989年も連覇。
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一方、耐久レースでは1989年のFIM耐久カップを、RVF750が4戦全勝で制覇。1990年のRVF750は、アレックス・ビエラ、ジャン・ミッシェル・マッティオリ、ステファン・メルテンスのライディングで、FIM耐久カップのル・マン24時間とボルドール24時間で優勝。
しかし、鈴鹿8時間はホンダワークスのエースチームとなるワイン・ガードナー、マイケル・ドゥーハン組が乗るRVF750がガス欠でリタイア。優勝したのはヤマハYZF750だった。
1991年、ホンダは世界耐久選手権でのワークス活動を停止したが、鈴鹿8時間にはワークスチューンのRVF750が登場し、ガードナーとドゥーハンのライディングで前年の雪辱を晴らした。
RVF750は、このクラス唯一のV型4気筒エンジンを、目の字型断面材を使用したアルミツインチューブフレームに搭載。スプリントレースと耐久レースで活躍した、速くて壊れないバイクと定評があった。
RVF750 主要スペック
- エンジン:水冷4ストロークV型4気筒
- 排気量:748cc
- 最高出力:130馬力以上
- 最低車両重量:140Kg以上
- タイヤ:ミシュラン
1位 | ビエラ、マッティオリ、メルテンス | ホンダRVF750 | 681周 |
2位 | バーネット、デュハメル、チェンバース | スズキGSX-R750 | 670周 |
3位 | シュラフリ、メイヤー、ハーンゲリ | ホンダVFR750R | 666周 |
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1990年FIM耐久カップのホンダワークス
ヨーロッパを中心に行われていた耐久シリーズに1980年から鈴鹿8時間が組み込まれ、世界耐久選手権として年間7から8戦が開催されていた。しかし、1989年は世界タイトルに足るレース数を開催できず世界選手権からカップ戦にシリーズが降格された。1990年FIM耐久カップはわずか3戦のみでの開催となった。
ポルトガル出身のアレックス・ビエラはル・マン24時間で5回の優勝経験があり、1989年から3年連続で耐久ランキング1位となる。フランス出身のマッティオリもル・マン24時間で4回の優勝経験があり、世界GP250ccクラスに参戦の実績もある。ベルギー出身のメルテンスはスーパーバイク世界選手権でも上位に進出したライダー。マッティオリとメルテンスは1995年世界耐久選手権のチャンピオンとなる。
1990年耐久カップ第1戦のル・マン24時間は、突然激しい雨に見舞われるなど厳しい天候の中で行われたレース。予選1番手からスタートしたビエラ組とスズキのモアノー組とデュハメル組の争いとなったが、モアノー組のGSX-R750がエンジントラブルで停止。デュハメル組は夜間に2度転倒した。ビエラ組はマシンに問題を抱えながらも安定したペースで走りぬき優勝した。
第2戦の鈴鹿8時間で3人はホンダワークスとしてではなくビエラはドミニク・サロンとペアを組み3位。マッティオリ、メルテンス組は7位だった。
第3戦のボルドール24時間で再び3人はチームを組む。ライバルのスズキ勢がマシントラブルで後退していく中、ビエラ組はトラブル無く24時間走りきり優勝した。
Round | 開催地 | 順位 |
---|---|---|
1 | ル・マン24時間 | 優勝 |
2 | 鈴鹿8時間 | - |
3 | ボルドール24時間 | 優勝 |