フレディー・スペンサーの思い出
バイク雑誌に掲載された広告
NS500 THE CHAMPION
1983年WGP500シリーズチャンピオンとメーカーチャンピオンを獲得しましたというホンダの広告です。
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おめでとう、フレディー 世界一
こちらはアライヘルメットの広告です。彼の歴代ヘルメットを紹介していました。
左から順に、その始まりとなる彼が15歳だった1977年の白いX-75です。ゼッケン7が見えるのは1978年。AMAのノービスクラスに参戦したマシンと同色のヴィンテージデザインのRX-7。
ゼッケン8が見えるのは、英米マッチレースでケニー・ロバーツ、バリー・シーンらをぶっちぎる活躍でその名が世界に知られるようになった1979年です。
最後の右上はUSホンダと契約した1980年で、レッド、ホワイト、ブルーのホンダカラーです。
そして右下、スペンサーの代名詞ともいえる今なお人気のデザインは世界GPに参戦を開始した1982年に登場します。
レプリカヘルメット
コーナーで、ワインディングで、レスポンスがちがう。
1983年。レイアウトは異なるものの、NS500と同じ2ストV型3気筒エンジンのMVX250Fは、「自由自在、スーパーレスポンスだ。」とアピールする広告。撮影場所はウィロースプリングス・レースウェイ。
1985年、NSRとRSに乗ってダブルタイトル獲得記念として販売されたNSR250Rのスペシャルエディション、ロスマンズホンダカラーの広告です。チャンピオンレーサーRS250RWのコンセプトをダイレクトに継承した、とアピールしています。
僕のチャンピオンマシンにとてもよく似ている
フレディがNS400Rのパフォーマンスを語った。「プロのテイストが、ダイレクトに伝わってくる」
片山敬済、木下恵司と共に。
僕のフォーマルウェア
1985年、スペンサーが公式ウェアとして使用した南海部品の「トップライダー」レザースーツの広告。
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ジグソーパズル
背中の大きなデビルマークが印象的なダイネーゼのスーツ。そしてパネルが変色して少し色あせて見えますが、頭の先からマシンまで鮮やかなトリコロールカラーでカッコ良く決まったNS500とスペンサーのジグソーパズルです。
ハングオンと言うタイトルがついたこの商品はメーカー「やのまん」のマシンシリーズの一つで、500ピース、サイズは380×530mmです。パネル面にはGP CHAMPION HONDAのステッカーを貼っている。
パッケージにはライダーとマシンについて下記のような解説をしていました。
弱冠17才で世界チャンピオンになった天才アメリカンライダー。子供の頃からオートバイに親しみ、アメリカで人気の有るダートトラックレースの出身。ダートトラックレースとは、土の上のオーバルコースをブレーキ無の単ないし2気筒のオートバイで競うもので、近年多くのGPレースライダーを輩出している。よくいわれるスペンサー乗りも、彼はダートトラックから学んだといわれる。
彼のライディングの特徴は、いままで正しいとされてきた走行ラインと加減速よりもマシンの姿勢制御を主としていることにある。前後輪のドリフト走行はもとより、サーキットに展開されるダートトラッカー的走りは、世界中のレースライダーに多大な影響を与えている。
1979年、ホンダはNR500をもってGPレースにカムバックした。王者ホンダの復活に世界中のファンは喜んだが、NRは8ヴァルヴの実験的な4サイクルマシンであり、勝利は得られなかった。
そこでホンダは勝つための2サイクルマシン、しかしそれは各メーカーが何度も失敗したV型3気筒レーサーを作りあげた。NSは'82年にデビューし、'83年には天才フレディー・スペンサーのライディングによりチャンピオンになる。究極までの軽量化、コンパクト化、そして何より低重心による旋回性能を追求したマシンである。
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