>> チャンピオンバイク
ヤマハ YZR-M1
マックス・ビアッジ 2002
MARLBORO YAMAHA TEAMの2002年MotoGPマシン、YZR-M1です。色鮮やかなマールボロカラーに、実機はスポンサーロゴ「Marlboro」の文字が白く描かれているのだが、この模型では描かれていない。チャンピオンバイクコレクションのNO.10です。
2002年、500ccクラスからMotoGPに変更され、それに合わせてヤマハが投入した4ストロークマシンがYZR-M1。
ホンダのRC211Vが独創のV型5気筒エンジンを搭載したのに対して、ヤマハは実績の在る並列4気筒5バルブエンジンを搭載。シンプルな並列4気筒エンジンの可能性を徹底追求する事になった。
シーズン当初のマシンはYZR500のフレームをもとに作られ、上限の990ccを下回った排気量に抑えられ、最高速などにハンディとして現れた。しかし、YZR-M1は新型フレームの投入などシーズン中も進化し、第10戦で初勝利をあげた。
YZR-M1 主要スペック
- エンジン:水冷4ストローク並列4気筒20バルブ
- 排気量:990cc
- 最高出力:200馬力以上
- 最低車両重量:145Kg
マックス・ビアッジは1992年、世界GP250ccクラスにフル参戦。1994年からアプリリアのマシンで3年連続250ccクラスのタイトルを獲得。1997年、カネモト・ホンダに移籍し250ccクラス4連覇を達成。1998年、500ccクラスにステップアップし、ホンダNSR500で参戦。このシーズンは2勝しランキング2位。
1992年のウエイン・レイニー以来の500cc個人タイトルを獲得出来ずにいたヤマハが1999年、ヤマハワークスチームとしてMarlboro Yamaha Teamを結成。マックス・ビアッジはエースライダーとなって移籍。
シーズン前半は苦しんだが、終盤は調子が上がりランキング4位。その後2000年は3位、2001年は2位で、常に母国の後輩バレンティーノ・ロッシの後塵を拝していた。
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MotoGP元年となった2002年、シーズン当初ワークスチームにのみ供給されたYZR-M1だが開発にてこずり、バレンティーノ・ロッシに大きくリードされた。
後半YZR-M1は大きく進化しマックス・ビアッジは2勝をあげたが、又してもバレンティーノ・ロッシに次いでランキング2位。2003年、ヤマハを離れホンダのCamel Pramac Ponsに移籍した。
Round | 順位 | |
---|---|---|
1 | 日本GP | リタイヤ |
2 | 南アフリカGP | 9位 |
3 | スペインGP | 失格 |
4 | フランスGP | 3位 |
5 | イタリアGP | 2位 |
6 | カタルニアGP | 4位 |
7 | オランダGP | 4位 |
8 | イギリスGP | 2位 |
9 | ドイツGP | 2位 |
10 | チェコGP | 優勝 |
11 | ポルトガルGP | 6位 |
12 | ブラジルGP | 2位 |
13 | パシフィックGP | リタイヤ |
14 | マレーシアGP | 優勝 |
15 | オーストラリアGP | 6位 |
16 | バレンシアGP | 3位 |
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