>> チャンピオンバイク
ヤマハ RD05 250
フィル・リード 1968
1968年世界GP250ccクラス フィル・リード選手のチャンピオンマシンです。チャンピオンバイクコレクションのNO.28です。

1964年と1965年、リードは2ストローク2気筒エンジンを搭載したヤマハRD56で250ccクラス連覇を達成した。しかしヤマハは、1965年にホンダが投入した4ストローク6気筒マシンに危機感を抱き、対抗するために2ストロークV型4気筒のRD05を開発する。
だが、ニューマシンにとって1年目のシーズンとなる1966年はその実力を発揮できず、リードはホンダRC166に乗るマイク・ヘイルウッドに完敗し、タイトルを奪われた。
1967年、改良されたRD05Aに乗るリードはヘイルウッドと接戦を展開し、両者の獲得ポイントは同点となった。結果、優勝回数の差で再びヘイルウッドに敗れた。だが、このシーズンを限りにホンダが世界GPから撤退、同時にヘイルウッドも引退した。
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RD05 250 主要スペック
- エンジン:水冷2ストロークV型4気筒
- 排気量:249cc
- 最高出力:75馬力以上
- 最低車両重量:-Kg以上
| 1位 | フィル・リード(Phil Read) | ヤマハ | 優勝5回 |
| 2位 | ビル・アイビー(Bill Ivy) | ヤマハ | 優勝5回 |
| 3位 | ヘインツ・ローズナー(Heinz Rosner) | MZ | - |

ホンダが撤退した直後の1968年、250ccクラスはヤマハワークスのチームメイトであるリードとアイビーの争いとなった。
両者は125ccクラスにも参戦しており、バトルが激化して共倒れになる事を恐れたヤマハは、125ccではリード、250ccではアイビーがタイトルを取るように勝利を分け合おうとした。
シーズン前半はその思惑通りに運んだが、後半、リードは250ccのタイトルも狙いに行った。これはヤマハがこの年限りでワークス活動撤退を決めたことが引き金になったと言われている。
両者は獲得ポイント、勝利数、入賞数でも並び、協会の決定によりリードが3年ぶりにタイトルを奪還した。リードは125ccクラスでもタイトルを獲得し、両クラスとも2位となったアイビーは激怒しレース界に物議を醸した。
結果的にヤマハは全レ−スで優勝したが、この年限りで世界GPでのワークス活動を停止した。1969年からプライベート参戦となったリードは1971年、再び250ccのタイトルを獲得。1973年と1974年にはMV AGUSTAのマシンで500ccのタイトルも手にし、世界GP3クラスを制した。
| Round | 順位 | |
|---|---|---|
| 1 | 西ドイツGP | リタイア |
| 2 | スペインGP | 優勝 |
| 3 | マン島TT | リタイア |
| 4 | オランダGP | 2位 |
| 5 | ベルギーGP | 優勝 |
| 6 | 東ドイツGP | 2位 |
| 7 | チェコスロバキアGP | 優勝 |
| 8 | フィンランドGP | 優勝 |
| 9 | アルスターGP | リタイア |
| 10 | ナシオンズGP | 優勝 |
| 西暦 | 125cc | 250cc | 350cc | 500cc |
|---|---|---|---|---|
| 1964 | 8位 | 1位 | 6位 | 3位 |
| 1965 | 10位 | 1位 | 9位 | |
| 1966 | 4位 | 2位 | 8位 | |
| 1967 | 2位 | 2位 | ||
| 1968 | 1位 | 1位 | ||
| 1969 | 13位 | 13位 | ||
| 1970 | 12位 | 17位 | ||
| 1971 | 1位 | 16位 | 18位 | |
| 1972 | 4位 | 5位 | ||
| 1973 | 3位 | 1位 | ||
| 1974 | 1位 | |||
| 1975 | 2位 | |||
| 1976 | 10位 |



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