>> チャンピオンバイク
ヤマハ TZ250L
クリスチャン・サロン 1984
カポラルカラーが鮮やかなフランスの煙草「ゴロワーズ」をスポンサーとする、ソノートヤマハの1984年世界GP250ccクラス、クリスチャン・サロン選手のチャンピオンマシン。
チャンピオンバイクコレクションのNO.49です。
TZ250は1973年に登場したヤマハの市販ロードレーサー。250ccクラスはヤ−ノ・サ−リネンらのライディングで、空冷エンジンのヤマハTDが1970年から4連続でタイトルを獲得していた。
そんな中、1973年に水冷エンジンを搭載したTZ250が登場する。しかし、1974年のタイトルはハーレーダビッドソンが獲得し、ヤマハの5連覇は成らなかった。その後もハーレーダビッドソン、続いてカワサキがタイトルを獲得していく。
TZ250は毎年改良を重ね、1976年にはモノショック化とディスクブレーキ装着、1981年にはパワーバルブシステムYPVSを採用するなどして戦闘力アップを図る。
登場から10年目となる1982年、プライベーターのJ.L.トルナドールのライディングでシーズン1勝、2位とわずか1ポイント差でカワサキのアントン・マングをおさえて初タイトルを獲得。
1983年はカルロス・ラバードが駆り2連覇。1984年、サロンのライディングでTZ250が3連覇。
1985年、フレディ・スペンサーが駆るホンダワークスのRS250RWがタイトルを獲得。これに対抗すべくヤマハは1985年シーズン半ばからアルミフレームの新型TZを投入し、1986年からファクトリーマシンYZR250となる。
一方、TZ250はその後もプライベーター向けの市販レーシングマシンとして、YZR250での技術を反映して進化していく。
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TZ250L 主要スペック
- エンジン:水冷2ストローク直列2気筒
- 排気量:249cc
- 最高出力:60馬力以上
- 最低車両重量:-Kg以上
1位 | クリスチャン・サロン(Christian Sarron) | ヤマハ | 109 |
2位 | マンフレッド・ヘルヴェー(Manfred Herweh) | Real/Rotax | 100 |
3位 | カルロス・ラバード(Carlos Lavado) | ヤマハ | 77 |
リーンウイズの美しいライディングフォームで多くのファンを魅了したクリスチャン・サロンは、1976年途中から世界GP350ccと250ccクラスに初出場。1977年、第2戦西ドイツGP250ccで世界グランプリ初優勝。1979年から500ccに挑戦したが、1982年は再び350ccと250ccに参戦。350ccが廃止となり、250ccに専念した1983年はランキング2位を獲得した。
この頃の250ccクラスはカワサキがワークス活動を停止し、出場マシンの半数以上はTZ250。1984年、HHシリンダーを使用し、セルジュ・ロセのチューニングによるスペシャルTZに乗るサロンは開幕戦から上位を走る。第2戦イタリアGPではエンジントラブルによる転倒でノーポイントとなったが、オーストリアGPで優勝してランキングトップに立つ。シーズン終盤のマンフレッド・ヘルヴェーの追い上げをかわしてチャンピオンに輝いた。
1985年、再度500ccクラスに転向。雨の中で行われた第3戦西ドイツGPで、後方から追い上げたサロンはトップを走るスペンサーを抜き去りそのままゴール。500cc初優勝を飾った。その年、スペンサー、エディー・ローソンにつづきランキング3位となった。その後1990年まで500ccのランキング上位で活躍するが優勝は無かった。
クリスチャン・サロン(Christian Sarron)
- 1955年3月27日生まれ フランス出身
Round | 順位 | |
---|---|---|
1 | 南アフリカGP | 2位 |
2 | イタリアGP | リタイア |
3 | スペインGP | 2位 |
4 | オーストリアGP | 優勝 |
5 | 西ドイツGP | 優勝 |
6 | フランスGP | 5位 |
7 | ユーゴスラビアGP | 2位 |
8 | オランダGP | リタイア |
9 | ベルギーGP | 3位 |
10 | イギリスGP | 優勝 |
11 | スウェーデンGP | 2位 |
12 | サンマリノGP | リタイア |
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