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ヤマハ YZR500
阿部典史 2001
2001年のWGP500ccクラスにANTENA TRE YAMAHA D'ANTINから参戦した阿部典史選手のYZR500。
チャンピオンバイクコレクションのNO.5です。

赤と黒を基調としたマシンのフロントカウルにはゼッケンナンバー6が左右に2つと、その真中にスポンサーとなったスペインのテレビ局「アンテナ3」のマークが記されていた。
YZR500は初登場の1973年以来、約30年間進化を続けてきた歴史あるマシン。ほぼ最終型といえる2001年型は、500ccメーカータイトル獲得した2000年型をベースに改良を加えた。
WGP最高峰クラスは2002年からMotoGPに移行した為、ライダー全員が2ストロークマシンに乗るレースは2001年が最後の年となった。
ヤマハは8台のYZRを投入し、1992年のウエイン・レイニー以来の個人タイトルを狙った。結果はマックス・ビアッジが3勝でランキング2位が最高。ホンダに乗るバレンティーノ・ロッシの圧勝に終わった。

全日本選手権500ccクラス最後の年となる1993年、18歳の阿部典史選手は、全日本も500ccも1年目のなか史上最年少で全日本チャンピオンとなった。
翌1994年、日本GPにワイルドカードで参戦し、決勝レースでシュワンツやドゥーハンと互角の勝負を展開。結果は転倒リタイヤだったが、その時の快走が元GPチャンピオンのウエイン・レイニーに認められ世界GPに参戦する事となった。
GP初勝利は1996年の日本GP。1999年、このチームダンティンに移籍し、ブラジルGPで勝利。チームダンティン2年目となった2000年、第3戦の日本GPを再び制しGP3勝目をあげた。
2001年、さらなる飛躍が期待されたが勝利は無かった。しかしランキングは前年よりひとつ上がって7位。
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| Round | 順位 | |
|---|---|---|
| 1 | 日本GP | 4位 |
| 2 | 南アフリカGP | 5位 |
| 3 | スペインGP | 2位 |
| 4 | フランスGP | 4位 |
| 5 | イタリアGP | 9位 |
| 6 | カタルニアGP | 6位 |
| 7 | オランダGP | リタイヤ |
| 8 | イギリスGP | リタイヤ |
| 9 | ドイツGP | 4位 |
| 10 | チェコGP | 4位 |
| 11 | ポルトガルGP | リタイヤ |
| 12 | バレンシアGP | 8位 |
| 13 | パシフィックGP | 4位 |
| 14 | オーストラリアGP | 13位 |
| 15 | マレーシアGP | 13位 |
| 16 | ブラジルGP | 6位 |
| 西暦 | チーム名 | 順位 |
|---|---|---|
| 1994 | ブルーフォックス / Marlboro Team Roberts | 17位 |
| 1995 | Marlboro Team Roberts | 9位 |
| 1996 | Marlboro Team Roberts | 5位 |
| 1997 | Team Rainey Yamaha | 7位 |
| 1998 | Team Rainey Yamaha | 6位 |
| 1999 | Antenna 3 Yamaha d'Antin | 6位 |
| 2000 | Antenna 3 Yamaha d'Antin | 8位 |
| 2001 | Antenna 3 Yamaha d'Antin | 7位 |
| 2002 | Antenna 3 Yamaha d'Antin | 6位 |
| 2003 | Fortuna Yamaha / Yamaha Racing | 16位 |
| 2004 | Fortuna Gauloises Yamaha | 13位 |


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