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スズキ RG500
バリー・シーン 1977
1977年のWGP500でバリー・シーン選手が2連覇を達成した、テキサコ・ヘロン・チーム・スズキのRG500の模型です。
チャンピオンバイクコレクションのNO.9です。
世界GP500ccクラスには1973年からヤマハがワークスマシンYZR500を送り込んでいた。1974年、スズキはワークス活動の再開と共にRG500を投入。エンジンは2気筒づつ2列、正方形に並べたスクエア4で、コンパクトなエンジンは車体を小型にした。
RG500は1975年第6戦オランダGPで初勝利し、この年2勝。1976年、バリー・シーンが優勝5回、2位1回でチャンピオンを獲得。この年のランキング1位から6位までRG500が独占した。
1977年、バリー・シーンは優勝6回、2位1回で2年連続チャンピオンを獲得した。スズキはRG500で1976年から1982年まで7年連続メーカー・タイトル獲得。スズキが生んだ名車。
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RG500 主要スペック
- エンジン:水冷2ストロークスクエア4気筒/2軸クランク
- 排気量:497cc
- 最高出力:120馬力以上
- 最低車両重量:140Kg
バリー・シーンは1974年スズキのRG500投入と共にGP500ccクラスにフル参戦。1976年、77年と2連覇達成。この功績をたたえイギリス女王からMBE勲章(大英帝国五等勲士)を授与され、サー・バリー・シーンと呼ばれるようになった。
1978年は、ヤマハのケニー・ロバーツとのトップ争でわずかにおよばず、3連覇はならなかった。
バリー・シーンは様々なエピソードが残るスーパースター。1975年、デイトナ200マイル・レースの公式練習中リヤタイヤトラブルで大クラッシュ、再起不能とまで言われた重傷から立ち直り第6戦オランダGPで初勝利。
更に1982年、イギリスGPの練習中に、コース上に倒れていたバイクに時速260キロで突っ込んで再び重症を負ったが、翌年レースに復帰した不死身のライダー。
デイトナ200以来ゼッケン7はバリー・シーンのシンボルとなった。チャンピオンとして臨んだ1977年もゼッケン1ではなく7のRG500に乗った。又、世界GPに挑むレーサー達を描いた映画「ザ・ライダー」に出演。
1980年にはTBCビッグロードレースで日本のファンにライディングを披露した。
2001年にグランプリの殿堂入りを果たしたが、2003年3月、癌のため52歳でこの世を去った。
インターネットで見るバリー・シーンの写真
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Round | 順位 | |
---|---|---|
1 | ベネズエラGP | 優勝 |
2 | オーストリアGP | 欠場 |
3 | 西ドイツGP | 優勝 |
4 | イタリアGP | 優勝 |
5 | フランスGP | 優勝 |
6 | オランダGP | 2位 |
7 | ベルギーGP | 優勝 |
8 | スウェーデンGP | 優勝 |
9 | フィンランドGP | 6位 |
10 | チェコスロバキアGP | 欠場 |
11 | イギリスGP | リタイヤ |
1位 | バリー・シーン | スズキ | 優勝6回 | 107ポイント |
2位 | スティーブ・ベーカー | ヤマハ | 優勝0回 | 80ポイント |
3位 | パット・ヘネン | スズキ | 優勝1回 | 67ポイント |
西暦 | 年間成績 | ||
---|---|---|---|
1970 | 125ccクラス | スズキ | 13位 |
1971 | 125ccクラス | スズキ | 2位 |
1974 | 500ccクラス | スズキ | 6位 |
1975 | 500ccクラス | スズキ | 6位 |
1976 | 500ccクラス | スズキ | チャンピオン |
1977 | 500ccクラス | スズキ | チャンピオン |
1978 | 500ccクラス | スズキ | 2位 |
1979 | 500ccクラス | スズキ | 3位 |
1980 | 500ccクラス | ヤマハ | 15位 |
1981 | 500ccクラス | ヤマハ | 4位 |
1982 | 500ccクラス | ヤマハ | 5位 |
1983 | 500ccクラス | スズキ | 14位 |
1984 | 500ccクラス | スズキ | 6位 |