マルコ・シモンチェリ 逝去
第17戦 マレーシアGP(セパン) 2011.10.23 /コンディション:ドライ
決勝レース2周目、マルコ・シモンチェリが転倒してコース上をスライドしながら、コーリン・エドワーズとバレンティーノ・ロッシが競り合ってコーナーを立ち上がっている前に出てしまい、3台が衝突した。エドワーズは転倒するもコースから出ることが出来た。ロッシはなんとか走り抜けた。だが、シモンチェリはコース上に残ったままで、彼のヘルメットはこのアクシデントで脱げていた。シモンチェリは直ちにサーキット内のメディカルセンターに運ばれた。医療スタッフが駆けつけた時、彼は意識不明で心停止だったという。心肺蘇生が行われたが助からなかった。MotoGPクラスでのライダーの死亡事故は2003年の加藤大治郎選手以来となる。レースは赤旗中断となり、その後キャンセルされた。
前回大会で転倒した影響でホルヘ・ロレンソは欠場し、その代役として中須賀克行が呼ばれていた。ベン・スピースは前回大会での怪我の影響でフリー走行と予選でも転倒して更に負傷したことから決勝を欠場した。ワイルドカードのジョン・ホプキンスはフリー走行は出場したが予選決勝はキャンセルした。骨折している右手の指を固定していたボルトとプレートの具合が悪くなったとしている。
予選
イタリア出身のマルコ・シモンチェリ選手は1987年1月20日生まれで享年24歳です。WGPでの成績を表にしました。デビューは2002年125ccクラスのチェコGPでこの年は6戦に出場し、翌年からフル参戦です。私は映像とニュースで見聞きするだけですが、MotoGPクラス2年目となる今シーズンの彼は昨年とは勢いが違うと感じていました。その威勢のよさが物議を醸すこともありましたが、前回大会では初めて2位に入るなど徐々に結果も出始めていて、この時点でポイントランキングは6位でした。表彰台のトップに立つ日もそう遠くはないと思ったし、その先のチャンピオンも狙える選手だったことは間違いない。既に来シーズンも引き続いてサンカルロ・ホンダ・グレシーニから参戦してRC213Vを走らせることが決定していた。HRCもワークス級のサポートをするはずだったと思う。非常に残念です。チームやご遺族の方々の悲しみは計り知れないものとお察しします。心からこ冥福をお祈りいたします。
西暦 | 125cc | 250cc | 500cc | チーム名 | |
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2002年 | 33位 | Aprilia | CWF - Matteoni Racing | ||
2003年 | 21位 | Aprilia | Matteoni Racing | ||
2004年 | 11位 | Aprilia | Rauch Bravo | ||
2005年 | 5位 | Aprilia | Nocable.it Race | ||
2006年 | 10位 | Gilera | Squadra Corse Metis Gilera | ||
2007年 | 10位 | Gilera | Metis Gilera | ||
2008年 | 1位 | Gilera | Metis Gilera | ||
2009年 | 3位 | Gilera | Metis Gilera | ||
2010年 | 8位 | ホンダ | San Carlo Honda Gresini | ||
2011年 | 6位 | ホンダ | San Carlo Honda Gresini |
チェコGP
関連情報リンク
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