>> チャンピオンバイク
APRILIA RSW125
アルノー・バンサン 2002
2002年、イモラサーキットとエクサルトグループが共同スポンサーとなったImola Circuit‐Exalt Cycle Raceから参戦した、アルノー・バンサン選手のライディングで世界GP125ccクラスのタイトルを獲得したRSW125の模型です。
デアゴスティーニのチャンピオンバイクコレクションNO.44です。

世界GP125ccクラスにアプリリアのマシンが登場したのは1988年です。1992年、アレサンドロ・グラミニのライディングで、ロータリーディスクバルブを採用した単気筒エンジンを搭載するアプリリアのマシンAF1が強さを発揮して、アプリリアに初の世界GPタイトルをもたらした。
その後、アプリリアとホンダの2強時代が続く中、RS125はバレンティーノ・ロッシや坂田和人などのライディングでチャンピオンに輝いた。2001年はその2強の争いに加わったジレラが一気に台頭して、ランキング1位にまで上り詰める。
そして、2002年は混戦の中、バンサンがシーズン5勝を挙げてGP125の頂点に輝いた。この年、250ccクラスでもマルコ・メランドリのライディングでRSW250がチャンピオンに輝き、アプリリアは両クラスでメーカータイトルも獲得した。
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RSW125 主要スペック
- エンジン:水冷2ストローク単気筒
- 排気量:124cc
- 最高出力:50馬力以上
- 最低車両重量:73Kg以上
| 1位 | アルノー・バンサン(Arnaud Vincent) | APRILIA | 273ポイント |
| 2位 | マヌエル・ポジアーリ(Manuel Poggiali) | GILERA | 254ポイント |
| 3位 | ダニエル・ペドロサ(Daniel Pedrosa) | ホンダ | 243ポイント |
フランス出身のアルノー・バンサンは1997年、ヨーロッパ選手権125ccクラスのチャンピオンに輝き、1998年、世界GP125ccクラスに挑戦。アプリリアを走らせ、ランキングは12位。1999年、カタルニアGPで初優勝。2001年はホンダに乗り換えたがランキングは10位。
そして、再びアプリリアに乗り換えた2002年は、開幕戦の日本GPで優勝。これで波に乗り、常にランキング上位で、前年チャンピオンでジレラに乗るマヌエル・ポジアーリとタイトル争いを展開する。
ランキングトップでむかえたパシフィックGPで2位を走行していたが、終盤にマシントラブルで後退。ランキング2位のポジアーリと、ポイント差が8ポイント差に詰まった。マレーシアGPも両者はトップ争いを展開していたが、最終ラップでポジアーリが転倒して後退。その最終ラップ、オフィシャルが誤って、トップのバンサンがゴールする前にチェッカーフラグを振ってしまった。
規定により最終ラップは無効になり、前周回の結果でレースが成立。この結果、ポジアーリの順位は4位に上方修正され、ランキング1位のバンサンになんとか追いすがった。
シーズンも残り2戦となるオーストラリアGPはポジアーリが優勝し、タイトル争いは最終戦にもつれこんだ。そしてむかえた最終第16戦は、バンサンは好スタートで、ダニエル・ペドロサとトップ争い。ポジアーリは序盤のミスで後退した。結果、バンサンが2位に入り、世界GP125ccの頂点にたった。前年チャンピオンのポジアーリが18歳だったのに対してバンサンは遅咲きの28歳だった。2003年、その年から世界GPに参入するオーストラリアのメーカーKTMに移籍した。
| Round | 順位 | |
|---|---|---|
| 1 | 日本GP | 優勝 |
| 2 | 南アフリカGP | 2位 |
| 3 | スペインGP | 2位 |
| 4 | フランスGP | 4位 |
| 5 | イタリアGP | 9位 |
| 6 | カタルニアGP | 11位 |
| 7 | オランダGP | 4位 |
| 8 | イギリスGP | 優勝 |
| 9 | ドイツGP | 優勝 |
| 10 | チェコGP | 3位 |
| 11 | ポルトガルGP | 優勝 |
| 12 | ブラジルGP | 2位 |
| 13 | パシフィックGP | 15位 |
| 14 | マレーシアGP | 優勝 |
| 15 | オーストラリアGP | 4位 |
| 16 | バレンシアGP | 2位 |

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