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DERBI 125TWIN
アンヘル・ニエト 1971
Derbi の1971年世界GP125ccクラス、アンヘル・ニエト選手のチャンピオンマシン。デアゴスティーニのチャンピオンバイクコレクションNO.48です。

1960年代の125ccクラスは、エンジンを4気筒、5気筒と、多気筒化をすすめる日本勢が激しく争っていた。ホンダの4ストロークマシンとスズキとヤマハの2ストロークの争いが、60年代後半は2ストロークが優勢だった。
しかし1967年から69年にかけてこれらの日本勢が世界GPから撤退した。レギュレーションの変更で、エンジンの気筒数が2気筒以下に制限された1970年、デルビは2ストローク2気筒のこのマシンを125ccクラスに登場させた。
1971年はバリー・シーンとのタイトル争い。当時のランキングはトータルポイントではなく、有効ポイントで争われていた。全11レース中で、6レースの獲得ポイントが有効となる。シーンは9レースで3回優勝し、トータルは109だったが有効ポイントは79となった。ニエトは6レースで優勝5回、87ポイントを獲得して125ccクラスで初タイトルを獲得した。

DERBI 125TWIN 主要スペック
- エンジン:水冷2ストローク並列2気筒
- 排気量:124cc
- 最高出力:35馬力以上
- 最低車両重量:-Kg以上
| 1位 | アンヘル・ニエト(Angel Nieto) | DERBI | 87 |
| 2位 | バリー・シーン(Barry Sheene) | スズキ | 79 |
| 3位 | ボージュ・ヤンソン(Borje Jansson) | MAICO | 64 |
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アンヘル・ニエトは1964年、17歳で世界GPに初出場。1969年、東ドイツで行われた50ccクラスで世界GP初優勝をはたし、1986年までに通算90勝を記録。50ccクラスと125ccクラスで世界チャンピオンに13回輝いたスペインの英雄。スペインのへレスサーキットのコーナーのひとつにニエトの名前が付けられている。2000年にMotoGP殿堂入りとなった。
その後ニエトのドキュメンタリー映画「Angel
Nieto 12+1」が製作された。12+1=13、彼がチャンピオンに輝いた回数を意味する。
アンヘル・ニエト(Angel Nieto)
- 1947年1月25日生まれ スペイン出身

| Round | 順位 | |
|---|---|---|
| 1 | オーストリアGP | 優勝 |
| 2 | 西ドイツGP | 欠場 |
| 3 | マン島TT | 欠場 |
| 4 | オランダGP | 優勝 |
| 5 | ベルギーGP | 欠場 |
| 6 | 東ドイツGP | 優勝 |
| 7 | チェコGP | 優勝 |
| 8 | スウェーデンGP | 欠場 |
| 9 | フィンランドGP | 欠場 |
| 10 | ナシオンズGP | 2位 |
| 11 | スペインGP | 優勝 |
| 西暦 | 50cc | 80cc | 125cc |
|---|---|---|---|
| 1969 | 1位(Derbi) | ||
| 1970 | 1位(Derbi) | 2位(Derbi) | |
| 1971 | 2位(Derbi) | 1位(Derbi) | |
| 1972 | 1位(Derbi) | 1位(Derbi) | |
| 1973 | 7位(Morbidelli) | ||
| 1974 | 3位(Derbi) | ||
| 1975 | 1位(Kreidler) | ||
| 1976 | 1位(Bultaco) | 2位(Bultaco) | |
| 1977 | 1位(Bultaco) | 3位(Bultaco) | |
| 1978 | 2位(Minarelli) | ||
| 1979 | 1位(Minarelli) | ||
| 1980 | 3位(Minarelli) | ||
| 1981 | 1位(Minarelli) | ||
| 1982 | 1位(Garelli) | ||
| 1983 | 1位(Garelli) | ||
| 1984 | 1位(Garelli) | ||
| 1985 | 9位(Derbi) | ||
| 1986 | 7位(Derbi) | 13位(Ducados) |


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