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WGP500 ロードレース世界選手権グランプリ

WGP500はバイクロードレースの世界選手権が始まった1949年から2001年まで、最大排気量のレースとして行われました。結果、22人の500ccチャンピオンが誕生しました。

ここではその一部、1983年以降、発売されている総集編記録DVDのパッケージと共にWGP500のヒストリーをまとめています。

一部の年で、YouTubeに登録されている動画にリンクしています。

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1983年

ヤマハのケニー・ロバーツとホンダのフレディ・スペンサーによる壮絶なバトルが展開されました。この2人が全12戦の表彰台中央を独占。しかも互いに6勝ずつ分けあい、わずか2ポイント差でスペンサーがタイトルを獲得した。

1983 500cc British GP - Silverstone Part1
第10戦イギリスGP、シルバーストーン
San Marino GP,500cc Imola,1983
第12戦サンマリノGP、イモラ
uncini collison at Dutch tt
オランダGPで起こったフランコ・ウンチーの悲劇

1984年

ケニー・ロバーツに替わってヤマハのエースとなったエディー・ローソンが4勝を挙げて初タイトルを獲得した。スペンサーは前年型NS500を引っ張り出さなければならないほど新型NSR500が不調で、5勝を挙げたにもかかわらずランキングは4位に終わった。

1984 500cc British GP - Silverstone Part1
バリー・シーンやNSを駆るロケットロン。ローソンvsマモラ

1985年

フレディ・スペンサーはホンダNSR500とRS250RWを駆り500cc/250cc/の2クラスにエントリー。スペンサーは安定した走りを見せ、両クラス共に7勝を挙げダブルタイトルを獲得した。ランキング2位はローソン、3位はクリスチャン・サロンだった。

1986年

シーズン開幕戦でトップを快走中だったスペンサーが右手首を傷めてリタイア。ようやく復帰した第4戦ではマシントラブルを抱えながら16位。しかし再び手首を傷め、残りのレースを全て欠場した。チャンピオンのローソンは7勝を挙げた。ワイン・ガードナーがGP初優勝を含む2勝を挙げランキング2位だった。

1987年

ホンダのエースライダーとなったワイン・ガードナーと、ヤマハのエディー・ロ−ソン、ランディ・マモラによる三つ巴の争いが展開された。シーズン序盤から好調をキープしたガードナーが7勝を挙げて、見事初タイトルを獲得した。2位はマモラ、3位はローソンだった。

1988年

開幕戦の日本GPでケビン・シュワンツがGP初優勝。しかし、その後のタイトル争いに加わる事は出来なかった。第2戦の母国アメリカGPで優勝したローソンが終始ポイント争いをリードし、追いすがるガードナーを振り切って3度目のタイトルを獲得した。3位は新鋭のウェイン・レイニーだった。

1989年

ホンダに移籍したロ−ソンが4勝でチャンピオンに輝いた。2位のレーニーは3勝。最多の6勝を挙げたシュワンツはリタイヤ5回が大きく影響して4位。復帰したスペンサーは16位に沈む。第5戦ミサノを雨の為危険という理由でワークスライダーがボイコットした。

第3戦アメリカGP
ラグナセカ。レース終了直後にアクシデント
第6戦西ドイツGP
ホッケンハイム。

1990年

開幕の日本GPで優勝したレイニーがシーズン通して上位キープ。終わってみれば優勝7回、2位のシュワンツと60ポイント以上の差をつけて初タイトルを獲得した。ドゥーハンが1勝を挙げ3位につけた。ガードナーとローソンは下位に沈んだ。

1991年

レイニーが6勝を挙げ連覇を達成した。2位のミック・ドゥ−ハンはシーズン前半で4勝を挙げランキングトップに立っていたが、シーズン後半は優勝が無かった。3位はシュワンツ。250ccチャンピオンのジョン・コシンスキ−が新たに加わり、最終戦で初優勝を獲得してランキング4位に入った。

1991WGP500前半戦
6強時代の総集編。中盤戦、後半戦と3分割。CM付き

1992年

ミック・ドゥ−ハンがレイニーやシュワンツを押さえ込み、開幕戦から4連勝を含む好成績でシーズン前半で独走態勢を築いた。しかし、第8戦で予想外のアクシデントに見舞われて、その後欠場が続いた。結果、レイニーが辛くも3連覇を飾った。ドゥ−ハンは2位、3位はコシンスキーだった。

1993年

前年のアクシデントによる後遺症でドゥーハンが出遅れた中、レイニーとシュワンツがマッチレースを展開。第11戦まで共に4勝をマークしていた。むかえた第12戦イタリアGPでトップを走っていたレイニーが転倒リタイア。結果的にレイニーは引退に追い込まれる。ライバルの不運に驚きながらもシュワンツが、念願のタイトルを獲得した。レイニーは2位、3位はダリル・ビーティーだった。

1994年

けがから完全に復調したドゥーハンが、優勝9回という圧倒的な強さで悲願の初タイトルを獲得した。シュワンツはケガの影響やライバルのレイニーがGPを去ったことによる精神的な影響があってか、2勝するもののランキングは4位に終わった。2位はルカ・カダローラ、3位はカジバに乗るコシンスキーだった。

1995年

ドゥーハンが開幕から好スタートを切って連勝したが、第3戦日本GPではトップ走行中にコースアウトで2位に終わる。その後ペースを崩して、2戦連続で転倒リタイア。しかし再び4連勝でビーティを振り切りWGP連覇を達成した。シュワンツがシーズン半ばに引退を表明。

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1996年

ドゥーハンの勢いは止まらず、3連覇というロバーツとレイニーに続く偉業を成し遂げた。ドゥーハンはシーズン8勝を挙げ、2位のアレックス・クリビーレと64ポイントの大差だったで。そんな中、阿部典史が日本GPで、500ccクラスでは片山敬済以来14年ぶりの日本人ウィナーとなり、その後も表彰台を3度獲得する活躍を見せ、ランキング5位に入る。

1997年

ドゥーハンが全15戦中12勝を挙げ、1972年のジャゴモ・アゴスチーニが打ち立てたシーズン最多勝利記録を更新した。ランキング2位の岡田忠之とは143ポイントの大差で、他を圧倒する走りで4連覇を達成した。2位の岡田はインドネシアでGP初優勝となる1勝をマークした。そして3位が青木宣篤だった。

1998年

4年連続250ccチャンピオンのマックス・ビアッジが、カネモトホンダから500ccクラスへステップアップ。そのデビュー戦となるシーズン開幕の日本GPでポールトゥウィンを達成。マイケル・ドゥーハンを脅かす存在になるかと思われたが、ドゥーハンはビアッジとのバトルを制し5連覇を達成した。

1999年

スズキに乗るケニー・ロバーツJrが開幕から2連勝。つづく第3戦の予選でドゥーハンが転倒し、そのダメージで以降のレースを全て欠場することになる。窮地に立たされたレプソルホンダだったが、アレックス・クリビーレがそこから4連勝でランキングトップに立ちそのまま逃げ切った。2位はロバーツJr。シーズン3勝を挙げた岡田忠之が3位だった。

2000年

王者マイケル・ドゥーハンが引退し、バレンティーノ・ロッシが500ccにステップアップ。連覇を目指すアレックス・クリビーレの調子が上がらないなか、ケニー・ロバーツJrが抜け出し初タイトルを獲得した。それに食い下がった新鋭のロッシが2位。3位はビアッジだった。

2001年

500ccクラス最後のシーズン。バレンティーノ・ロッシが11勝を挙げてチャンピオンに輝いた。2位はビアッジだったがロッシの圧倒的な速さの前に完敗だった。3位にロリス・カピロッシが入り、上位3人がイタリア出身のライダーだった。

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スペンサー、ロバーツらが活躍したW.G.P.黄金期のレースの数々を収録したGRAND PRIX 総集編BOXセット (10枚組) [DVD]もあります。

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