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DERBI 125GP
ホルヘ・マルチネス 1988
Derbi の1988年世界GP125ccクラス ホルヘ・マルチネス選手のチャンピオンマシン。チャンピオンバイクコレクションのNO.26です。この模型では、青地に白文字で記されたスポンサーロゴ「DUCADOS」が、似たような絵柄に変更されている。
ボディカラーから、Red Bullet(赤い弾丸)と呼ばるデルビは、スペインのバイクメーカーで、もともと50ccや80といった小排気量のクラスを得意とした。
125ccクラスは1985年、86年、87年とガレリの2気筒マシンが圧倒的な速さを誇っていたが、1988年からレギュレーション変更で単気筒マシンの戦いとなったことで新たな展開を見せた。
この年デルビは、鋼管トラスフレームにロータリーバルブ式のエンジンを搭載した125GPを投入し、出場台数の半数以上を占めるホンダRSを完全に押さえ込んでチャンピオンを獲得した。
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DERBI 125GP 主要スペック
- エンジン:水冷2ストローク単気筒
- 排気量:124cc
- 最高出力:40馬力以上
- 最低車両重量:67Kg以上
1位 | ホルヘ・マルチネス(Jorge Martinez) | DERBI | 197 |
2位 | エツィオ・ジャノーラ(Ezio Gianola) | ホンダ | 168 |
3位 | ハンス・スパーン(Hans Spaan) | ホンダ | 110 |
アスパーの愛称で親しまれているスペインの国民的英雄、ホルヘ・マルチネスは1984年、デルビと契約し世界GP80ccクラスに参戦。3年目のシーズンとなる1986年、80ccクラスチャンピオンとなり、1987年もチャンピオンの座を守った。
1988年は、80ccと125ccクラスに参戦。125ccクラス開幕戦の地元スペインGPで独走で優勝。その後も圧倒的な強さを見せ、全11戦中9勝を挙げた。80ccクラスも全7戦中6勝を挙げ3連覇、見事な成績でダブルタイトルを獲得した。
1989年はマシントラブルや怪我などで、80ccクラスのランキングは8位、125ccクラスは9位と信じられないような結果となった。その後JJコバス、ホンダ、ヤマハ、アプリリアと移籍し、1997年まで現役を続けたがチャンピオンになる事は無かった。
引退後もアスパー・アプリリアチームの監督として、世界GPの舞台で活躍。
Round | 順位 | |
---|---|---|
1 | スペインGP | 優勝 |
2 | イタリアGP | 優勝 |
3 | 西ドイツGP | リタイア |
4 | オーストリアGP | 優勝 |
5 | オランダGP | 優勝 |
6 | ベルギーGP | 優勝 |
7 | ユーゴスラビアGP | 優勝 |
8 | フランスGP | 優勝 |
9 | イギリスGP | 2位 |
10 | スウェーデンGP | 優勝 |
11 | チェコスロバキアGP | 優勝 |
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