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CAGIVA 500
ジョン・コシンスキー 1994

Cagiva Team Agostini の1994年世界GP500ccクラス、ジョン・コシンスキー選手のマシン。チャンピオンバイクコレクションのNO.56です。

CAGIVA 500 JOHN KOCINSKI 1994

コシンスキーのライディングに合わせて大きく変更された言われるCAGIVA C594。見た目でわかるのがエンジンを搭載するフレーム。剛性を高めるために、メインチューブ前半がアルミとカーボンFRPの複合構造になっていた。この模型も一応、黒く塗り分けられています。

イタリアのメーカー カジバは1980年、直列4気筒500ccエンジンを搭載するヤマハの市販レーサーをベースとするマシンで世界GPに初出場。マシンの名前はカジバヤマハだった。

1981年、カジバオリジナルのエンジンを搭載するマシンC1が登場。1982年、スクエア4気筒エンジンを搭載。ヨン・エケロルトのライディングで最終戦西ドイツGPで10位に入り初ポイントを獲得。

1985年からエンジンはV型4気筒となったが、日本車を相手に低迷がつづく。1991年、エディ・ローソンのライディングでランキング6位を獲得し、1992年に雨の中で行われたハンガリーGPでようやく初優勝を果した。

1992年からカジバファクトリーに替わってジャコモ・アゴスチーニが運営することとなったCagiva Team Agostini は、1993年シーズン半ば、スズキから解雇されたコシンスキーをチームに迎える。コシンスキーは地元アメリカGPで優勝。これがカジバにとって2勝目、ドライコンディションでのレースは初優勝となる。

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CAGIVA 500 主要スペック

1994年WGP500ccクラスランキング
1位 マイケル・ドゥーハン(Michael Doohan) ホンダ 317ポイント
2位 ルカ・カダローラ(Luca Cadalora) ヤマハ 174ポイント
3位 ジョン・コシンスキー(John Kocinski) CAGIVA 172ポイント

チャンピオンバイクコレクションNO.56:CAGIVA 500

キングケニーの秘蔵っ子とされていたジョン・コシンスキーは1993年、ケニー・ロバーツの元を離れてラッキーストライク・スズキからRGV250Γで世界GP250ccクラスに参戦。第6戦を終えた時点で、優勝は無かったがランキング6位につけていた。

第7戦オランダGPでは8番手グリッドからスタートし、中盤追い上げて原田哲也を抜いて2位に上がる。しかし、最終ラップの高速コーナーで、原田に抜き返されて3位でゴールした。

ランキングトップを走る原田に抜かれた事が気に入らなかったのか、チームに対する不満が爆発したのか、ゴールした後も猛スピードでコースを回った。そして途中でバイクを放り出し、表彰台にも上がらずインタビューも拒否した。コシンスキーはオランダGP直後にチームから解雇された。

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アプリリアやカジバがコシンスキー獲得にのりだしたが、契約は難航する。第11戦チェコGPからカジバのマシンで参戦。ほぼ一年ぶりとなる500ccレースで4位となったコシンスキーは、第13戦地元アメリカGPで優勝。

残り4戦の状況からから参戦した500ccクラスで、ランキングは11位。これは、カジバのエースライダーだったダグ・チャンドラーの10位次ぐランキングだった。

1994年の開幕戦、2位のルカ・カダローラを大きく引き離して独走優勝を果たした。しかし、その後のレースはマイケル・ドゥーハン&ホンダNSR500が速さで他を圧倒した。結局、コシンスキーはカジバにとって過去最高の成績となるランキング3位を獲得した。

そして翌年からの活躍も期待された。ところが、カジバは資金面の問題で1994年シーズンを最後に世界GPから撤退。コシンスキーも世界GPから離れた。

ジョン・コシンスキー(John Kocinski)

ジョン・コシンスキー & CAGIVA 500 1994年の成績
Round 順位
1 オーストラリアGP 優勝
2 マレーシアGP 2位
3 日本GP 9位
4 スペインGP 3位
5 オーストリアGP 5位
6 ドイツGP 欠場
7 オランダGP 8位
8 イタリアGP リタイア
9 フランスGP 2位
10 イギリスGP 4位
11 チェコGP リタイア
12 アメリカGP 2位
13 アルゼンチンGP 3位
14 ヨーロッパGP 3位

斜め前から見たCAGIVA 500の模型

CAGIVA 500模型の排気管

ゼッケンナンバー11:CAGIVA 500の模型

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